人はいつの日か死に直面することになります。自分の家族や親族がなくなった場合、生前その人と親交のあったひとに伝えることはとても大切なことです。その方法には色々ありますが、新聞に死亡広告を出すという方法があるのです。そうすることで広くなくなった人の情報を知らせることが出来ます。では、このような「死亡広告」を出すのはなぜ有効なのでしょうか。ここでは「お悔み欄」との違いについても、詳しく解説していきます。
インターネットの時代の訃報広告の役目とは
現代ではインターネットが世界中に張り巡らされています。例えば著名人がなくなった場合には、すぐにネットニュースに掲載されて、あっという間にその情報は広がっていきます。もちろんテレビ等でも報道されますので、一瞬で広まるといっても過言ではないでしょう。
このようなネットの時代において、新聞に死亡広告を出すメリットはどのようなものでしょうか。まずは、これだけネットが普及した時代であっても、ネットを利用していない人がいます。新聞の死亡広告はこのような人たちに向けて出すには有効な方法と言えます。他にも自宅に電話を引いていない人や、携帯電話を所有していない人でも、新聞に広告を出せば目に留まる可能性があります。このように一見すると、新聞に広告を出すことは、時代遅れのような気もします。ですが、ネットや電話を利用していない人に訃報を伝える場合には、新聞の死亡広告は大変役に立つ方法だといえるのです。
死亡広告の出し方について
死亡広告は亡くなった人の訃報記事を「有料」で新聞の社会面等に掲載することを言います。死亡広告はあくまでも、死亡した人が生前広告させることを望んでいた場合や、遺族が載せる必要があると判断された場合のみに掲載することになります。もしも生前亡くなった人が、死亡広告を望んでいたのであれば、掲載は当然するべきですが、新聞でも全国紙や地方紙など様々な種類があります。その為、どのような新聞に載せてほしいのか、などの細かいところも生前故人から聞いているのであれば、その通りにしてあげるべきです。
死亡広告には基本的に、故人の名前や死亡の年月日、住所や享年などが掲載されることになります。他にも葬儀を上げる場合であれば、喪主名や葬儀のスケジュールや場所なども掲載されることになるのです。家族葬や密葬の場合であり、すでに済ませている場合であっても、その生前の感謝の気持ちを込めて、広告するということもあります。
死亡広告とお悔み欄の違いは
死亡広告とよく似ており、混同してしまいがちなのが同じく新聞に載る「お悔み欄」です。お悔み欄は死亡広告と違う点は、無料で新聞に掲載されるということです。お悔み欄は死亡記事とも呼ばれますが、もしも新聞にお悔み欄の掲載を希望したい場合には、通夜や葬式の場所や日程が決まったら、新聞社に連絡を入れるようにします。
上記の通りお悔み欄は無料で掲載させることが出来ます。無料のために掲載内容等は新聞社で決めることになり、載るかどうかの判断等も新聞社に決定権があります。お悔み欄を載せるメリットは、無料であるというほかにも、新聞に掲載されることにより、より多くの人にその情報を知らせることが出来るという点です。それが大手の全国紙の新聞社であれば、なおさらであるといえます。死亡広告とお悔み欄のどちらを希望するかは、人それぞれかもしれませんが、確実に情報を広げたいのであれば、死亡広告のほうが有効かもしれません。
死亡広告の料金はどのくらいか
では、気になる料金はどのくらいなのでしょうか。それは一概には言えないのが実情です。なぜならば新聞には全国紙と地方紙で金額が異なるからです。日本全国に情報を広く届けたいのであれば、全国紙に掲載するべきですし、一部の地域でよいのであれば地方紙で事足りてしまいます。
全国紙に死亡広告を出す場合には、少なく見積もっても30万円以上の金額がかかります。大きな広告であれば300万円を超える場合もあります。一番小さなサイズでも30万円以上かかるため、全国紙への死亡広告の掲載には、十分に検討してからされたほうがよいかもしれません。
次に地方紙に乗せる場合ですが、小さい記事では5万円程度で、大きな記事の場合には50万円程度を見込んでおいたほうがよいでしょう。このように全国紙であれ地方紙であれ、新聞に広告を出すということは、メリットが有る反面、金額が高いという部分があることを覚えておきましょう。
まとめ
現代の若い世代はあまり新聞を読まないといわれます。ほとんどの情報がネットで手に入るようになったからです。そのような中でも、新聞に死亡広告を掲載することは、情報の拡散には有効な手段の一つになるのです。有料の死亡広告であれ、無料のお悔み欄であれ、広く情報を拡散させることが出来ます。インターネット時代がこれからさらに発展しても、新聞の死亡広告はなくなることはないでしょう。それくらい昔からなじみのある方法だからです。